シリコンバレーの取扱い
残余財産分配に関する優先権(Liquidation preference)は、シリコンバレーでは優先株式の内容のうち最も重要なものの一つと考えられています。残余財産分配請求権についての考え方は、シリコンバレーと日本の従来の実務とで大きく異なっているので、シリコンバレーの実務がどうなっているかということと、日本の実務の考え方とで2つに分けてご説明したいと思います。
残余財産分配に関する優先権(Liquidation preference)とは、企業が破産又は清算した時の残余財産について、普通株主に先立って分配を受けることができる優先株主の権利をいいます。
残余財産分配に関する優先権は、大きく以下の2つから構成されています。
① 優先分配権
優先株式の取得価格に至るまで、普通株主に優先して分配を受ける権利。優先株式という形で信用供与をした以上、普通株主(創業者)よりも先に残余財産から元本相当額を回収するというコンセプトです。なお、累積型の優先配当の場合は利息分を含むことになりますが、この点は後述します。
② 参加権
優先株主への分配が終わった後の残額について、普通株主と同順位で保有株式数(稀釈化ベース)の応じて分配を受ける権利です。これにはⅰ)完全参加、ⅱ)一部参加、ⅲ)非参加の3つのオプションがあります。
残余財産に関する優先権については、②の参加権の内容が極めて重要です。すなわち、「優先株式の基礎」でご説明したとおり、会社がIPOにまでたどり着いた場合には、すべての優先株式が強制的に普通株式に転換されますので、残余財産に関する優先権は消滅し、意味を失います。これに対して、もう1つのエグジットであるM&Aの場合、優先株式は普通株式に転換されません。シリコンバレーの実務では、残余財産分配に関する優先権を、潜在化していた株式価値が顕在化するM&Aによる事業売却の場合に拡張して適用することとしており(みなし清算)、これによって、M&Aによるエグジット時の優先株主と普通株主の間の企業価値の分配額を異なるものとしているのです。
これは、コーポレートファイナンスの見地からは非常に説得的な仕組みです。すなわち、投資家は投資に際しては、起業家が持ち込むIPOまでの資本・事業計画を参考に、IPO時の株式価値を算定し、これを企業のリスクに応じた割引率によって割り戻して投資時の株式価値を合理的に算定しようとします。M&Aによるエグジットは、基本的にはこうした本命シナリオに対するプランBとして存在します。なぜならM&Aは相手があることであり、事前にいつの時期に誰にいくらで売却するということを合理的に予定することはできないからです。「創業者株式の仕組み」でご説明したとおり、ベンチャー企業では、創業者と従業員に対する適切な動機づけを確保するため、投資家は、創業者と従業員に対し、投資家よりも安い価格で株式を引き受けることを認めています。この部分を投資家がリクープするためには、企業価値が十分に大きくなることが必要です。本命シナリオではない企業価値が道半ばの段階での売却にあっては、実現する途中であった企業価値のうち、優先株主の取り分を多くすべきであるという考えは、ファイナンスの理屈からして当然であると考えられます。
このように、M&A時にまで拡張された残余財産分配の優先権、とりわけ参加権は、合理的なベンチャーファイナンスにとって不可欠の要素であると考えられます。
残余財産分配の優先権のうち、ⅰ)完全参加とⅲ)非参加については、優先配当でご説明したコンセプトと同じように考えればよいので、説明を繰り返しません。そして、スマートな起業家の皆さんであれば、完全参加が最も投資家に有利であり、非参加が最も創業者に有利であること、したがって、投資家と起業家との間に適切な交渉が発生するのであれば、妥結点はⅱ)一部参加に求められる場面が多いことに気づかれるでしょう。
ⅱ)一部参加とは、優先株主に対する取得価額までの優先分配後の残額について、一定のキャップを設定する手法です。すなわち、優先株主は、例えば取得価額の3倍まで普通株主への分配に参加することができ、その後は普通株主が総取りするといった取り決めをすることになります。したがって、投資家と創業者は、取得価額の何倍までの参加を認めるかについて、ぎりぎりの交渉をします。単に2倍だ3倍だと言い合ってもしかたがないですので、起業家の皆さんは、開発予定スケジュールや販売予定スケジュールなどをベースに、プランBであるM&Aが発生するとすればそれはいつなのか、その時の会社の売却価額はいくらを想定できるのか、という点を数字を用いて説得的に示し、投資家の狙うIRRを実現するためには優先分配は1株あたり◯◯円で足りるはずなので、参加権は取得価額の◯倍をキャップとすれば足りるはずだ、といった交渉をすることが期待されています。
なお、配当について累積型を選択した場合、累積された未払優先配当残高は、①の優先分配権の内容として実現することになります。すなわち、①の優先分配の額は、取得価額に累積された未払優先配当残高を加算した額ということになります。累積型とは、優先株式を劣後負債のように設計した場合の利息の繰延べについて定めたものですから、エグジットに際して株式価値が顕在化したときに、繰り延べられた利息相当額が優先して分配されるのは、当然のことであるということができるでしょう。「優先配当条項」で、起業家の皆さんは、優先配当の条件を決める際に累積条項を注意すべきと申し上げたのは、これが理由です。