日本の取扱い
ファイナンス条件の合理性の有無というのは純粋に数字・計算の問題ですので、国によって取扱いが異なるということには違和感がありますが、既にご説明したシリコンバレーの取扱いに対して、日本での一般的な取扱いについてご説明します。
まず、残余財産分配請求権は、会社の倒産や清算のときにしかトリガーしない権利であると一般に考えられています。この理解をベースにして、会社が倒産・清算するなどということはあまり考えられないので、残余財産分配に関する優先権には大した意味はないという立場が、日本の実務ではとられることがあります。
この立場に立ちますと、みなし清算という考え方が取り入れられませんので、同じ一議決権を持ち、転換比率が1:1に設定されている優先株式の価値は普通株式と同じであるという考えにつながってきます。優先株式と普通株式の価値はIPO時のみならず常に同価値なのだという立場からは、創業者に対して設立時に極めて安い価格で普通株式の取得を認めようという考えも、従業員に対するストック・オプションの行使価格を直前のファイナンスラウンドで投資家が引き受けた株式価格よりも低い価格を認めようという考えも、出てこなくなってしまいます。
投資家の立場からは特に、残余財産分配に関する優先権の定めに従った分配がM&Aのときに実現されないという結論は許容しがたい場合があり、この場合の手当として、普通株主である創業者と投資家との間の契約でそのような分配の合意をするということが行われます。企業価値のうち株主価値の分配に係るものを利害関係人であるすべての株主が合意すれば、そのような分配は実現できるはずだという発想です。もっとも、実際には例えばストック・オプションを発行する場合等、普通株主には創業者以外の者が順次出現するものであり、このような合意でどこまで対処できるのか、という問題も残ります。
ところで、M&A時に実現する会社の価値を株主間でどのように分配するかは、すぐれて株主当事者間の問題です。債権者に影響をおよぼすものでもなく、適切な交渉の結果導入される優先権である限り、内容に不合理な点もないはずです。実際、会社法では、合併で消滅する会社が種類株式を発行している場合、消滅会社の株主に対する対価の割当てについて、株式の種類ごとに異なる取り決めをすることを認めており、株式交換等の他の組織再編行為についても同様です。こうした規定を根拠に、みなし清算条項に当たる規定を定款に入れることもできるのではないかという見解も主張されています。
起業家の皆さんとしては、創業者利益の確保を実現するための淵源になっている優先株式のみなし清算条項には、大きな利害関係があります。優先株式のファイナンス書類の作成を依頼するにあたっては、日本の取扱いが以上のような状況にあることを踏まえつつ、みなし清算を定款に取り入れる実務をアドバイザーに依頼することも検討していただきたいと思っています。
最後に、日本の通常の実務で、残余財産分配に関する優先権の規定がどのような条項で盛り込まれているかについて確認しておきたいと思います。分かりやすさのため、実際の条項を簡略化している点は、優先配当と同じです。ご覧になってお分かりのとおり、以下の規定は、完全参加型の規定となっています。
当会社は、残余財産の分配をするときは、A種優先株主に対し、普通株主に先立ち、A種優先株式1株につき◯◯円(「A種優先残余財産分配額」)を分配する。A種優先株主に対してA種優先残余財産分配額の全額が分配された後、普通株主に対して残余財産の分配をする場合には、A種優先株主は、A種優先株式1株当たり、普通株式1株当たりの残余財産分配額と同額の残余財産の分配を受ける。