日本の融資実務では、資金を貸し付ける金融機関が貸付契約を作成するのが通常です。けれどもこれは必然のルールといった話ではなく、単なるキメの問題です。独立の当事者間の取引である以上は、どちらが契約作成を担当しても良いはずですが、日本では伝統的に貸し手の力が借り手の力を圧倒しており、貸し手優位の実務慣行の1つとして、貸付契約作成の主導権は金融機関が担っています。これまでベンチャーファイナンスも、ベンチャー投資の創成期に銀行系VCが活躍したということもあってか、そうした傾向が強かったように思います。
段階的投資モデルにおける資金調達のあり方
日本でこれまで行われていたアドホックな資金ニーズに応じて提供されるベンチャー投資であれば、そのような実務のあり方もありうるところだと思われます。これに対して、段階的投資モデルに従ったベンチャーファイナンスでは、少なくとも以下の理由から、企業主導という面が強調されやすくなるのではないかと思います。
段階的投資モデルにおける投資関連契約の位置づけ
「段階的投資モデルの本質 (2/2)」でご説明したとおり、段階的投資モデルでは、投資関連契約はベンチャー企業の設立から株式公開までの期間を通じた資金調達戦略そのものです。すなわち、アドホックなベンチャーファイナンスであれば、その資金調達に関連して投資家とベンチャー企業が行う約束という理解も可能ですが、これまでのご説明から理解いただけるとおり、段階的投資モデルを採用するということ自体が、ベンチャー企業の戦略的な決定です。それは、単純な1回のファイナンスの実行ということにとどまらず、リードVCにガバナンス機能を持たせ、資金調達にあたりリードVCが設定したハードルを乗り越えれば、次のラウンドの資金調達も、そのVCがリードを取ってシンジケーションを組むなりして、必要金額を調達してくることが期待されているということを意味します。そしてその関係は、企業の成長が計画通り進む限り、株式公開まで続いていくものです。
こうした投資家との長期的な関係を規定したものが投資関連契約であり、新たなラウンドで新規の投資家が現れる場合には、この投資関連契約に新規投資家も参加してもらうという形を取ることで、ベンチャー企業のガバナンス体制を安定的に一本化する機能を果たすものです。
段階的投資モデルに基づくベンチャーファイナンスを採用するかどうかは、資金調達戦略としてベンチャー企業自身が決定すべきもので、投資家に押し付けられる類のものではありません。そうであるとすれば、資金調達を行うに際して、ベンチャー企業自身が、「当社はこのようなストラクチャーで今後IPOに至るまで資金調達していくことを計画しているが、その前提で当社に投資が可能か。」とVCに打診するという姿が、本来あるべき姿であるように思います。
VC投資家の出現時期
ベンチャー企業自身が主導しなくても、ガバナンスの担い手であるリードVCが投資関連契約の作成を主導すればよいではないか、と考える方もいらっしゃるかもしれません。けれども、この考え方はリードVCの出現時期に関する考察を見落としている可能性があります。
「段階的投資モデルの本質 (2/2)」でご説明したとおり、段階的投資モデルでは、投資関連契約の中で、異なるクラスの投資家によるガバナンスを矛盾なく統合的に管理することが想定されていますので、すべての優先株投資家が、同一の投資関連契約のもとに権利を行使することになります。ここにいう優先株投資家には、リードVC出現以前に会社に投資しているエンジェル投資家が含まれます。
すなわち、起業家は、エンジェル投資家からの資金調達を行う段階から、既に段階的投資モデルを前提とした、後に出現するはずのリードVCが応諾可能な投資ストラクチャを構築しておく必要があります。
エンジェル投資家自身は起業家の味方ですので、ベンチャー企業のガバナンスに強い関心はない可能性がありますが、VC投資家が現れてからこうした投資関連契約を締結するというのは理解が得られづらいです。したがって、ベンチャー企業には、シードラウンドの段階で、次のラウンドでリードVCが受け入れ可能な投資関連契約をエンジェル投資家と締結しておくことが求められます。そして、エンジェル投資家は、こうした趣旨の投資関連契約を用意することは通常しませんので、ベンチャー企業サイドがこれを担当することとなります。
ベンチャー企業が主導するということの意味
では、ベンチャー企業が資金調達を主導するというのは、どのような意味でしょうか。具体的にベンチャー企業は何をすればよいのでしょうか。
ベンチャー企業がVCから資金調達を行う場合のプロセスは、一般の企業が投資家から資金調達するプロセスと基本的に同じです。つまり、VCが起業家のバックグラウンドやキャラクター、事業計画や資本政策の内容につき審査し、投資を検討しても良いという運びになった場合、VCはベンチャー企業につき簡易なデューディリジェンスを実施し、税務会計及び法務コンプライアンスにつき問題がないことを確認します。この確認を経て投資契約の締結交渉に入り、合意に至った場合にはこの契約に従って投資が実行されることになります。
ベンチャー企業が資金調達を主導するといった場合、具体的には、上記のプロセス中で、投資につき真剣に検討する投資家に対して、ベンチャー企業サイドから、投資関連契約の主な条項の案が盛り込まれたタームシートを提出することが1つ挙げられます。本来タームシートレベルで合意に達することができない投資家と、タームシート抜きで上記のプロセスに深入りしてしまった場合、ベンチャー企業サイドの資金ニーズの時限性との関係で、望まない投資を受け入れざるを得ない状態に追い込まれる可能性がありますので、そのような事態を避けるためにも、タームシートレベルでの合意は重要だと考えます。また、投資家としても、デューディリジェンスまで時間と費用をかけておいて、いざ契約書を交渉する段階で、ベンチャー企業と考え方に大きな差があり破談したというのは、時間と費用の無駄になってしまいますので、タームシートのプロセスを入れておくことは、投資家にとってのメリットもあります。
タームシートレベルで合意が成立していれば、実際の契約書面の第一案をどちらが担当するかは、決めの問題ともいえます。ただ、シードラウンドのことを考えると、ベンチャー企業サイドが用意するというのが原則形態であるように思います。
よくある誤解
なお、起業家がファイナンスを主導することについては、費用面で懸念が示されることがあります。つまり、ベンチャー企業サイドで契約書面を提示するとなると、作成費用などを企業サイドで持たなければならなくなるのではないか、それよりも投資家に作成させたほうがコストを抑えられるのではないか、という懸念です。
これは誤解に基づく懸念と整理してよいと思われます。なぜなら、ファイナンス書面の作成コストは、実際の作成担当が投資家であっても、通常ベンチャー企業サイドが負担することになっているからです。そうであるとすれば、自らコストをコントロールできるよう、契約書面の作成はベンチャー企業サイドで受け持つということも考えられるところです。