「リーンスタートアップ」というムーブメントがスタートアップ界隈で人々の話題に上って久しいですが、このほど、エリック・リースさんの「The Lean Startup」の邦訳版が出版されるということで、日本のベンチャー業界で、再度この言葉が盛り上がりを見せることになるだろうと思われます。
管理人は昨年以来、この「リーンスタートアップ」というマジックワードについて、いくつかの場所でお話をさせていただきましたが、このほどの日本でのスタートアップの盛り上がりを見せる中で、このサイトの中でこの流れに触れないのは、外から見ると不自然だろうということで、リーンスタートアップの概括的な考え方をご説明をしておきたいと思います。
過去にリーンスタートアップについてお話させていただいた際のプレゼン資料の一つをこちらで公開していますので、あわせてご覧いただければと思います。
リーンスタートアップのコンセプト
管理人は、シリコンバレーのベンチャーエコサイクルのインフラを担う法律事務所での勤務経験から、「日本にベンチャーエコサイクルを確立し、日本に新しい産業をもたらして、みんなが楽しい汗をかきながら仕事を生きがいとすることで人間として成長する、そんな日本を創りたい」という思いから、このStartup Innovatorsの運営を行っています。この目標を達成するためにこのサイトが提案するのが、「運に任せるのではなく、システマチックなベンチャー企業の成長を実現する」というコンセプトでした。
このコンセプトを実現するためのツールの一つが、このサイトでしばしば取り上げる段階的投資モデルという、これまで日本ではあまり見られなかったストラクチャルな投資モデルでした。
エリックさんが唱える「リーンスタートアップ」という運動も、基本的には同じ問題意識からスタートしているものと思われます。
エリックさんは、著書の冒頭で「なぜスタートアップは失敗するのか」という問いを投げかけます。スタートアップが失敗するのは、このサイトでもしばしば触れたとおり、あまりにも不確実性が高いからです。スタートアップというのは、新たな価値を生み出してなんぼの世界ですので、これまで証明されていないビジネスを遂行することによってのみ、その存在意義が認められ、成功することができます。
そのようなものですから、スタートアップに求められる精神は、伝統的に「当たって砕けろ」精神であると考えられてきました。
エリックさんは、このような態度に疑問を呈しています。スタートアップが成功するには、ノウハウ化することができる何らかの形式知があるはずだと考えているわけです。その探究の過程が、この「リーンスタートアップ」で語られています。
リーンスタートアップの起源は「トヨタ生産方式」
日本の製造業は、1970年代から1980年代にかけて、製品の生産過程を形式知化することで飛躍的な発展を遂げ、米国の製造業を打ち破り、Japan as No.1 という言葉に象徴されるような黄金時代を築きました。その代表がトヨタであり、トヨタの在庫を極限まで抑えるjust in timeのトヨタ生産方式は、米国で“Lean Manufacturing”と呼ばれ、米国の様々な事業者の生産工程の革新のお手本とされました。
エリックさんは、この“Lean Manufacturing”を事業開発の手法として応用することで、スタートアップの成功確率(歩留まり)を高めるための理論を構築したのです。
エリックさんは、現代を、生産技術(「どうやって作るか」)が生産物の発想(「何を作るべきか」)を追い抜いてしまった時代であると捉えます。このような世の中では、「どうやって作るか」よりも「何を作るべきか」のほうがずっと大切であると考えます。作るべきものは当然、消費者が欲しいものでなければなりませんが、現代は、いったい消費者が何が欲しいのか、つまり、消費者に価値を生み出すサービスとは何なのか、ということを探知するのが難しく、これを正しく探知することこそが、事業の開発にとって最も大切なことであると考えます。
これは、起業家にとって最も大切な心構えと言われている「世の中を良くする」ということに通じます。すなわち、起業家のビジョン(「人々はこういう価値を求めているはずだ」という信念)がまず先にあって、これを実現するための事業戦略(ビジネスモデル)があり、その上に提供するサービスがあるべきである、というのが伝統的なシリコンバレーの発想ですが、生産技術が生産物のアイディアを追い抜いた現代にあっては、このビジョンがまず何よりも大切であるということになります。
これまでは、このビジョンとこれによってもたらされる「何を作るべきか」の発想は、起業家の直観力のたまものであり、これこそがイノベーション、天啓、着想、起業家センスの問題と考えられてきました。エリックさんは、このような考えに異を唱え、そのような考えが、世の中に労力・資金を投じてムダな(=顧客がつかない=カネを生まない)製品・サービスを多く生みみ出してきた諸悪の根源ではないかと問題提起します。
その上で、インスピレーションを基礎としたアドホックな領域を科学的に分析し、イノベーションの過程を形式知化し、事業開発時のムダを排除することで、より効率的にイノベーションを起こすことができると考えたのです。
リーンスタートアップの方法論
Validated learning
エリックさんが唱えるリーンスタートアップの方法論の第一のコンセプトは“Validated learning”という考え方にあります。
起業家は、投資家の投資を受けて新しいビジネスを始めます。これがうまくいけば良いですが、失敗した場合、投資家は投資金額を喪失する反面、起業家は新しいチャレンジを通じて学びを得ます。失敗した起業家にとっては、この学びこそが挑戦の対価であり、次のビジネスの成功の礎になるわけですが、これまでの考え方では、投資家の費用で起業家が学習し、その学習の成果が投資家に戻ってこないことになります。これが、投資の効率を引き下げている原因であるとエリックさんは考えます。そうではなく、投資家の資金によって学んだ失敗を、その同じ投資のサイクルの中で有効な学習として生かして、成功につなげられるようにする必要がある、と考えるわけです。これが、validated learningの基本コンセプトです。
validated learningのコンセプトは、起業家がビジネスを開始する際に持つ根本仮説の検証過程、つまり、人々はこういうものを求めているはずであるという仮説を立証する過程であると捉えることができます。この仮説の検証は、
「起業家が考える新たな価値を人々が価値と認めてくれるかどうか」ということと
「その価値を実現することによって事業を成長させることができるかどうか」ということ
の2つに分けることができます。
この2つを検証することができれば、あとは資金を投入して一気にビジネスをビジネスをスケールさせるフェーズに入れるはずだという発想です。
“build-measure-learn”サイクル
この仮説を検証するために、具体的に何をすればよいのか、というと、それがbuild(構築)-measure(測定)-learn(学習)のサイクルということになります。リーンスタートアップの真骨頂は、この過程のムダとりを徹底し、いかに効率的にこのサイクルを回してvalidated learningを完成させるかという点についての方法論にあります。
このサイトは、リーンスタートアップを解説するサイトではありませんので、その詳細はエリックさんの著作やスティーブ・ブランクさんの著作を始めとする関連書籍などを読んでいただければと思いますが、基本的には以下の方法によることが想定されています。
“build(構築)”
クラウドコンピューティングによりコンピュータリソースがかつてに比べて信じられないほど安く調達することができる現在、ウェブサービスの作成コストは劇的に下がっています。
こうした中で、エリックさんは、まずはminimum viable product(MVP)、つまり、最低限の機能を持つ製品を作成して人々に使ってもらうことが大切だといいます。
その製品について人々が価値を認めてくれるかどうか(価値仮説)が検証されていない段階で、完璧な製品を創り上げることでコストをかけることはムダであり、まずはとにかく動くものを作ってアーリーアダプター層に使ってもらってみるべきだという考えです。
このMVPを「最少労力で、かつ最短時間で」作成することが、投資のムダを省くための第一のポイントとなります。
このような考え方に対しては、ソーシャルメディアが発達した現代では、一旦不完全な製品をリリースしてしまうと、その時の評価が悪ければ、もうその製品の悪い評判が広がってしまって、以後誰もその製品を使ってくれなくなってしまう、という批判がなされることがあります。
管理人の実感では、アーリーアダプターというのは新規サービスに寛容で、むしろ応援してくれるものなので、一応ちゃんと動くサービスを作りさえすれば、このようなネガティブな側面をことさらに強調する必要はないと考えていますが、皆さんはどう考えますでしょうか?
“measure(測定)”
「リーンスタートアップ」というのは、“とにかく早くリリースしてフィードバックを得て改良することだ”、という捉え方をされることがしばしばありますが、管理人が見るところ、リーンスタートアップのコンセプトで最も重要なのは、この測定のプロセスです。
すなわち、一旦MVPを作成してリリースした後、起業家はこれを改良して、利用者にとってより魅力的な製品とするよう心がけます。けれども、この改良には当然労力すなわちコストがかかります。
測定のプロセスは、このMVPに対する改良・開発努力が製品の発展につながっているかどうかを定量的に測るためのプロセスであり、最小限の労力・時間でスケールさせるべき商品開発にまで持っていくための方法論ということになります。
測定のプロセスというのは、実に「何をやるべきか」と言うよりも「何をやらざるべきか」を確定するためのプロセスであるということができます。そして、その作業はチームに現実から目を背けさせない厳しさが求められると言えます。
つまり、測定の「ものさし」は起業家が定めることになりますが、起業家は往々にして、このものさしに、自己の仮説の検証に有利な測定基準を用いてしまうという罠に陥りがちです。これは、自作自演測定ないし劇場型測定ともいえるものであり、validated learningにとって何らの価値を持つものではありません。
リースさんは、この測定の方法について著書の中でいくつか具体例を挙げて説明していますが、大切なのは以下の3つであると主張しています。
- actionable:原因と結果の関係が明確になっていること
- accessible:測定基準が複雑なものではなく、開発者で共有可能なものであり、わかりやすいものであること
- auditable:データが信頼できるものであり、第三者検証が可能なものであって、測定結果を踏まえた意思決定の根拠として説明可能なものであること
“learn(学習)”
以上のプロセスを経て、起業家が当初持っていた根本仮説の検証を行うことができる程度にMVPの開発が進んだ段階で、起業家は「さて自らの根本仮説は正しかったのか」を検証します。つまり、「人々は○○の問題を抱えているはずであり、これを解決することが価値であると人々が考えているはずである」という仮説が正しいかどうか、そしてそのソリューションの提供が事業性を持つという仮説が正しいかどうか、を検証します。
その結果、これらが検証できれば、有効な学習が果たされたものとして、次の成長・スケール段階に進むことになります。
他方、これらが検証できなかった場合には、この段階で方針転換(pivot)を行います。このピボットというのは、要するにビジネスモデルの再考ということです。エリックさんの著書では、Zoom-in pivot(一部分にフォーカスした事業モデル)、 customer segment pivot(製品機能を維持して対象顧客層を変化)、 customer need pivot(より重要な顧客ニーズに応える転換)、 platform pivot(プラットフォーム化、アプリ化)が掲げられていますが、この類型化自体に意味があるのではなく、仮説を修正して再度改良・測定プロセスに入る必要があるということを言っているに過ぎないと考えます。
こうした一連のプロセスを経て、成長/スケール可能な事業モデルを得ることで、人々に支持される今までにないイノベーティブな製品を開発することができるはずだ、というのが、リーンスタートアップというコンセプトの柱になります。