ある国の制度は、その国の歴史的・文化的背景を基礎として成り立つ人々の集合認知の均衡として成立するものであるという立場からは、ある国や地域で成功している仕組みをそのまま他の国や地域で真似しても、うまくいくとは限らないということになります。また、日本とシリコンバレーは違うのであり、シリコンバレーモデルを日本に持ち込んでも上手くいかない、という意見もよく耳にします。管理人自身、日本とシリコンバレーの双方のベンチャー実務をアドバイザーとしての立場から経験して、法制面でも人材面でもシリコンバレーほどの環境を日本に整えることは容易ではないと感じます。
けれども、そのことは日本のベンチャー業界がシリコンバレーモデルから学ぶことがないということを意味しません。シリコンバレーモデルは、間違いなくイノベーションを誘発する持続可能な一大システムとして優れたシステムであり、その要素を分析して、これと同等の成果をあげるシステムを日本でデザインするとすれば、何が必要で、そのために何をすれば良いのか、を検討し、実行していくことは、日本に自律的なイノベーション生成システムを作り、経済発展を遂げていくために必要不可欠なことだと管理人は考えます。 その1つとして、本稿では、日本の中小企業とシリコンバレー型ベンチャー企業のガバナンスモデルについて比較検討してみたいと思います。
ここでのガバナンスモデルは、経営陣とオペレーションを担う労働者、リスクキャピタルの供給者である投資家の資金を主な原資として企業が獲得した物的資産のあいだの三者関係を分析したもので、青木昌彦スタンフォード大学名誉教授の著書「Corporations in Evelving Diversity」(2010)の記述をもとに、このブログの目的に合わせて簡略化してご説明しています。
目次
1.日本の中小企業のガバナンスモデル
伝統的な日本企業は、経営陣と労働者の間の認知と労働者同士の認知がインフォーマルな手段により共有されている結果、経営陣のナレッジと労働者のナレッジはかなり同化しているといわれています。その結果、以下の特徴を持つことになるといわれています。
- 経営陣と労働者それぞれが企業の業績向上にどの程度貢献したのか判別することが難しく、企業の目標の実現に対するそれぞれの貢献度は不可分のものとして捉えられる。
- 企業の物的資産に対する使用コントロール権を行使するためには、経営陣と労働者が相互に協力しなければ、企業の業績は上がらない という特徴を持つようになる。
2番目の特徴が意味するのは、こうした企業形態で投資家が投入した物的資産を利用して事業を行う場合、経営陣と労働者のいずれかが孤立しては物的資産が正しく活用されないということです。成果に対する経営陣と労働者の貢献度の測定も困難という状況のもと、投資家としては、経営陣と労働者のどちらとも個別に結託することができないので、物的資産のエクイティ上の所有者である投資家は、物的資産のコントロールのモニタリングを、いくらかのレントと引き換えに関係者モニター(監視者)に委託することになります。
この場合、関係者モニターは、経営陣と労働者のチームによる集団的なパフォーマンスがある閾値を超えた場合には、投資家に対する投資リターンの支払いを終えた後の残余利益をこの経営陣と労働者のチームに引き渡し、経営陣と労働者は、内部ルールに従ってこの残余を配分することになります。
一方で、チームのパフォーマンスがこの閾値を下回った場合には、委託された監視者は、チームの存在価値があると見られる状況では一時的に損を負担してでもチームを救済し、存在価値がないと見られる状況ではチームを解体し、物的資産を引き上げる、という選択肢を持ちます。
物的資産の引き上げという脅しは、チームメンバー全員に対する脅しとして機能する一方で、救済されるかもしれないというオプションの予想は、チームの責任ではない一部的な外部ショックのために生ずる比較的重要でない問題が起きた時に、チーム全体のナレッジの価値を保持するのに役立ちます。
このように、会社価値の状態に依存して物的資産の使用コントロール権、残余財産の収受権がシフトするように投資家のエクイティ支配権が行使されるため、このようなコーポレートガバナンス構造は「関係的状態依存型ガバナンス」 と呼ばれています。
この場合の経営陣と労働者のチームと投資家の間で行われる契約的な分配は、チームのナレッジの価値や代替可能性、投資家の市場支配力の強さに応じ、交渉によって決まります。 日本の伝統的な企業における上記のガバナンスモデルは、第1に、経営陣と労働者の不可分性は長期雇用慣行により制度的に補完されており、第2に、関係者モニターの役割は、主としてメインバンクによって担われてきたことが指摘されているところです。
2.シリコンバレーのベンチャー企業のガバナンスモデル
興味深いことに、シリコンバレー型のベンチャーキャピタルの投資を受け入れているベンチャー企業のガバナンスモデルも、関係的状態依存型ガバナンスの側面を持っていることが指摘されています。
すなわち、経営陣と労働者の機能が未分化なスタートアップ企業においては、開発努力の過程で経営陣と労働者がチームとして 組織化されており、投資家であるVCが行う段階的ファイナンスは、開発の進捗状況に応じて資金供給を行うことにより、関係的状態依存型ガバナンスの側面を持つことになります。
これはどういうことでしょうか。
つまり、スタートアップ企業に当初投入されるシードマネーは少額です。その後、VCは、スタートアップ企業の開発努力の進捗状況を勘案しながら、追加的な投資を行うか、組織再編により経営陣と労働者が共有するナレッジの救済を図るか、または関係を断ち切るかについての意思決定を行います。 開発段階で十分な売上が立たない中、投資家による追加的な資金供給によって初めて存続できるスタートアップ企業にとって、段階的ファイナンスは、次の投資が得られないかも知れないという脅しによって、経営陣と労働者のチームに規律を与えることになります。同時に、段階的ファイナンスによって仕組まれる追加投資または組織再編のオプションは、資金不足に陥った時点の会社価値の状態に依存して、投資家がエクイティ権に基づく使用コントロール権を行使できるということを意味します。こうした関係的状態依存型のガバナンスが、VCのエグジットつまりIPOまたはM&Aにより買収されるまで継続することになります。
このように、シリコンバレー型ベンチャー企業のガバナンスモデルは、伝統的な日本におけるメインバンクによるガバナンスモデルと類似する面があるといえます。
すなわち、かつてメインバンクがメンター的な役割をもって中小企業を育成し、時には整理・再編してきたという歴史的背景を持った我が国には、段階的ファイナンスの手法を用いたVCによるベンチャー企業のガバナンスモデルは、むしろ親和的なものである可能性があるのです。 我が国においては、VCビジネス初期においてはいわゆる銀行系VCと呼ばれるものが主流を占めていた時期がありましたが、これは日本のかつてのメインバンク制によるガバナンスモデルと、ベンチャー企業のあるべきガバナンスモデルに類似性があったためである可能性があります。
3. 日本における銀行系VCの評価
しかしながら、日本の銀行系VCの試みは、日本に持続可能なベンチャーエコシステムを創設することに成功したとは言いがたいという評価が一般です。むしろ、こうした伝統的な銀行系VCについては、銀行を母体とすることから来る限界を強調されることの方が多いといえます。
日本の銀行系VCの限界として主張されるものには、大きく2つあります。1つは商業銀行としての限界、もう1つは人材面を含めたガバナンス面の限界です。
商業銀行としての限界
1点目について、ご存知のとおり、世界レベルで見ると「銀行」と呼ばれるものには2通りあります。1つは広く公衆から預金を集めて、これを企業に貸し付けることを業務とする商業銀行(コマーシャルバンク)、もう1つは社債や借入によって資金を調達し、これを企業に投資することを業務とする投資銀行(インベストメントバンク)です。
我が国では、商業銀行は預金取扱金融機関として銀行法が、投資銀行は基本的には証券業者として金融商品取引法が、それぞれ所管することになります。投資銀行はその名のとおり投資を生業とします。この投資は貸付のこともあり、証券投資のこともありますが、いずれにせよ自らが資本市場又は自己の信用力で調達した資金を投資に振り向けて、これをポートフォリオ管理することになります。投資は成功するものもあり失敗するものもある前提で、失敗した投資について深追いすることはありません。法令はそのようなビジネスを前提に建て付けられており、当局の監督もそのようなものとして行われています。
これに対して、商業銀行は大衆からの預金を貸付原資としており、預金の払い戻しができない事態は金融システム上の問題を生じさせるものとして決して許容されません。したがって、銀行による貸付はリスク回避的であり、貸付が回収されないという事態もまた原則として許容されません。法令もそのようなビジネスを前提に、貸出ポートフォリオの厳格な信用リスクの管理が求めており、金融監督もそのような視点から行われています。
銀行系VCの調達資金は、こうしたリスク回避的な行動が求められる商業銀行によって拠出されるから、このような色がついた資金が取ることができるリスクは、(もちろん銀行のポートフォリオ投資の一環として限定的な資金をリスクキャピタルに回しており、数字上は一定の不回収リスクを見込んでいるとはいっても)純粋なVCのそれと比較すれば、自ずと限定的なものとならざるを得ない可能性が指摘されています。
ガバナンス面の限界
2点目について、銀行系VCの人員は、多くがこうした商業銀行における実務の経験者です。投下資金は基本的に回収することが前提のビジネスに従事し、そのために担保・保証を求めることが慣行となっている業種からは、ベンチャー投資のダウンサイドリスクは看過しがたいもののように感じられるようです。また、純粋なベンチャーキャピタリストの報酬体系は、成果報酬型となっています。すなわち、投資が大きな成功をおさめるとその分自らの実入りが多くなるように設計されているため、投資のアップサイドを生み出すモチベーションが高くなっています。これに対して、銀行系VCの人員は銀行からの出向者がいることなどもあり、また運営会社は銀行の子会社であるということもあり、銀行の報酬体系から大きく逸脱した報酬体系を採ることはできないといわれています。
こうした人材面を含めた運用会社のガバナンスの問題が、旧来の日本型ベンチャー投資が期待したほどの成果をあげづらい要因の一つと考えられています。
4. シリコンバレー型VCによるガバナンスのモデル
近時日本では、こうした銀行系VCではない独立系VCと呼ばれるものが台頭しています。独立系VCは、銀行系VCのような出身母体がなく、自ら機関投資家やアラブの石油王のような超富裕層にアクセスしてファンド資金を調達し、ベンチャーキャピタリストに対してインセンティブ報酬体系を敷いて投資活動を行います。すなわち、その資金源やファンド構造は、シリコンバレーのVCファンドと同等といえます。
では、こうした銀行系ファンドのような枷がない独立系ファンドは、段階的ファイナンスの手法を用いることで、シリコンバレー型VCのような自律的なベンチャーエコシステムの構成要素となることができるでしょうか。これを考えるためには、シリコンバレー型VCが採用している関係的状態依存型ガバナンスが、具体的にどのように運用されているかを更に検討する必要があります。
「シリコンバレーのひみつ」で説明したとおり、シリコンバレーモデルと呼ぶべきものは、モジュール型の製品デザインを採用する産業クラスタ、プラットフォーム上で展開されるビジネスにおける産業クラスタにおいて、VCやアドバイザを含めたクラスタ全体でのビジネス戦略や基本実務の共有を基礎的基盤として持っています。 その上で、先述した経営陣、労働者、物的資産のエクイティ的所有者である投資家(VC)の三者関係に着目したガバナンスモデルに沿ってシリコンバレー型ガバナンスを検討すると、以下のことがいえます。
まず、既述のとおり、経営陣と労働者は開発努力の過程でチームとして組織化されています。そして、VCの拠出した金融資産はチームとしての経営陣と労働者が活用しなければ生産に貢献できず、VCが持つノウハウ等のナレッジは、チームが内部で進めている開発プロセスにとっては必要不可欠とはみなされていません。
ベンチャー企業のナレッジは、スタートアップ段階では不可欠であるもののまだ価値は顕在化しておらず、その価値はVCによる段階的ファイナンスを経て徐々に顕在化することになります。こうして潜在的に存在するベンチャー企業のナレッジの価値は、IPOまたは買収が行われることで、キャピタルゲインまたはストックオプションの行使の形で実現されます。
VCの関係的状態依存型ガバナンスは、よく似た開発プロジェクトを持つ複数のスタートアップ企業にシードマネーを供給する初期的段階を経て、段階的ファイナンスの進展に伴い、新たな投資を実行するか関係を断ち切るかの選択をしていきます。ここでのVCの役割は、自らが持つ不可欠な認知資産を用いて複数のベンチャー企業を管理するというよりは、これらのベンチャー企業がプレーするトーナメントゲームのレフェリーの役割に類似しているといわれています。
モジュール型デザインの開発とシステムの統合という高度な不確実性が存在する状況下で、このトーナメント型ガバナンスは以下の2つの特性を持つといわれています。
1つめは、複数のベンチャー企業による開発努力を並行して実行させることにより、オプション価値、すなわち開発につれ技術動向ないし市場動向とマッチするベンチャー企業に対する投資を継続し、他方の追加投資を打ち切るといった選択を取ることが可能となります。
2つめは、ベンチャー企業は自らがトーナメント競争を勝ち抜かなければ自己の認知資産の価値が顕在化されないという中で開発行為に従事するので、開発に対するインセンティブが高まることになります。
この2つの特性によって、シリコンバレー型ガバナンスは、モジュール型製品を事後的に結合することによって成立するような大規模・革新的な生産物システムを開発するのに特に適していると言われています。
5. 検討
トーナメント型ガバナンスにより投資のオプション価値を高めるという戦略が、実はシリコンバレーモデル成功の最も本質的な要素であると言われていますが、トーナメント型ガバナンスが実現可能なのは、それだけ多くの有望なベンチャー企業が存在することが前提です。日本という比較的閉じた社会で、シリコンバレーと同じだけのバラエティに富んだ大規模な産業クラスタの生成は、一朝一夕には望めないかもしれません。
また、トーナメント型を採用しなければならないのは、例えば半導体の技術標準であるとか、パソコンのリーディング企業の導入の是非が雌雄を決するといったタイプのビジネスであるように思われます。 そのような前提がないような業界においては、関係的状態依存型ガバナンスの具体的な運用方法がトーナメント型でなければならない必然性はないように思われます(トーナメント型を採用することによる投資のオプション価値は諦めなければならないかもしれませんが…)。
また、創業者の多くがPH.DやMBAの保有者であったり、過去に起業を経験しているといった状況にあるシリコンバレーに比べ、日本の創業者がVCの経験やノウハウ、人脈といった認知資産に頼るところは一般的には大きいものと思われます。
こうしたことから考えると、シリコンバレー的なクラスタ内の知識共有基盤のもと、独立系VCの経験、ノウハウや人脈が豊富なスターベンチャーキャピタリストが、段階的ファイナンスの手法を用いつつ、かつてメインバンクが行っていたようなメンター的な投資先管理を実施するモデルというのは、少なくとも中期的になスパンでは、日本における持続可能なベンチャーエコシステムの形として、想定しうるのではないかと考えられるところです。
連載記事
- 必修知識-ベンチャー実務について理解するために必要な背景
- 「はじめの一歩」から間違えないために
- ベンチャー市場の「エコシステム」を作ろう
- シリコンバレーのひみつ
- 製品デザインの変化とベンチャービジネスの興隆
- ベンチャー企業と創業者の関係-ベンチャー企業、創業者、VCの三者を巡る経済的な関係 (1/3)
- ベンチャー企業と投資家の関係-ベンチャー企業、創業者、VCの三者を巡る経済的な関係 (2/3)
- 創業者と投資家の関係-ベンチャー企業、創業者、VCの三者を巡る経済的な関係性 (3/3)
- ベンチャー企業のガバナンスモデル
- 過半数保有へのこだわりが意味するもの
- 創業者利益発生のメカニズム
- エコシステム構築のための行動ビジョン